スパムについて考える

難しい上に不快な文章が書いてありますので、読みたくない人は読まないでください。































ある人からバトンを渡された。
非常に親しくさせて貰ってる人なので、その気持ちを無碍にしたくはない。
したくはないのだが………
この場を借りてその人に「ごめんなさい」と言いたい。


相変わらず「バトン」という名の「スパム行為」が続いてる事にショックを受ける。
バトンは必ず親しくしている人を中心に蔓延していくので対処に苦慮する。


バトンを拒否すること=その人を否定する


とは捉えて欲しくないからだ。
決してその人が悪気があってやってることではない、ということも重々承知だ。
でも、自分はあえてバトンを止める。
これ以上スパム行為を止めるために、だ。


mixiでも一時期流行った「ミュージカルバトン」。
その亜流が未だに潜んでいる。
この流れは止められないのだろうか…?


チェーンメールとバトンは同義として自分は捉えている。
チェーンメールは昔
「ネット上のリソースを無駄に減らす・ネットトラフィックの原因」
として話題をさらった。
一番有名なのは日本テレビ系列で放送されていた「鉄腕ダッシュ」のチェーンメール事件だろう。
鉄腕ダッシュのスタッフと偽り、「実験メール」と称したチェーンメールが日本中に蔓延、番組サイドが慌てて「チェーンメールを送らないように」と注意を促す事態にまで発展した。
鉄腕ダッシュの影響力を悪い意味で表現した一例である。


純粋に言うとチェーンメールとバトンは違うのだが、「リソースを減らす」という点については同義だ。
…しかし、「ネットトラフィックの原因」として考える時その意味合いが変わってくる。
何故かというと「日本にブロードバンドが急速に普及した」からである。
鉄腕ダッシュチェーンメール事件の時はそこまでブロードバンドは普及していなかったと思われる。
しかし現在ではどうか。
光ファイバーでネットに接続できる時代だ。
ADSLに加入する家も増え、明らかに使われる帯域の広さは拡大した。
ちょっとやそっとのチェーン程度では影響が出なくなっているはずだ。


だとしたら…
「バトンは許容されても良い存在なのではないか?」
そうとも考える。
親しい間柄でお互いの考え方を再確認するという行為自体は全く問題ないことだし、むしろ自分だってやってみたい気持ちは大いにある。
しかし、純然たるネット識者の中にはやはり不快に感じられている方が多いのも事実であるのだ。
ネットワークは「公の場所」として定義する場合、果たしてバトンは


「チェーンたる存在なのか否か?」


どうにも未だに考えをまとめることが出来ない自分は、なんて無知なのだろうかと思う。